浅田病院からのお知らせ

お知らせ

「申年生まれの私が干支の年頭に思うこと」 理事長・院長 浅田 護 

新年あけましておめでとうございます。

今年は私の干支である。つまり、今年、私も還暦を迎えることになる。これは大変なことになったと、思った。はじめてトランジスタラジオを買ってもらいカープのナイター実況中継を聴いた小学5年生の時の私は、40才以上の自分は想像もつかなかった。引退間近の3番レフト山内和弘は39才だった。浅間山荘事件のあった中学1年生のとき、はじめて破滅型作家の私小説を読み、私も20才ちょっとできっと夭折するかもしれぬふと思いこわくなった。18才で雪深い本州最果ての地で医学部に入学し、白いリンゴの花咲く5月、津軽半島に足をのばし、芦ノ湖公園湖畔に建つ念願の太宰治の碑の前に震えるような思いで立ち、私も珠玉の短編を残してやはり20代後半で夭折するのだといよいよ固く信じていた。ところが、27才のとき、ユクシン・ガルダンサール(7530m)の頂上に立った時、なんとか無事下山したいと必死に願った。そして、想像もしなかった59才になったいま、私が考えているのは、精神医療、精神医学は深い、実に深い。まだまだ学ぶことがたくさんある。だから、もっともっと腕を磨きたい。そのためには、あと、少なくとも30年必要かもしれぬという思いである。

  たとえば、今年、アンダーテン(10才以下のこども)クリニックを市内に開設し、児童デイサービス開設の準備に入る。一方、成人は、地域生活支援および就労支援サービスを拡充していきたい。病棟も専門分化に向けて整備せねばならぬ。まだまだ老け込むわけにはいかない。

 

 

16/01/20
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